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[解説] 今帰仁城は沖縄中部から西に突出した今帰仁半島に残る古城である。
琉球に統一王朝が成立する以前、三山時代(北山、中山、南山)があった。
その北山王の居城として今帰仁城は築かれた。
そもそも土地の有力者がここに城を築いたのは13世紀のことである。
その後、14世紀後半から15世紀前期にかけて繁栄期を迎えた。
ここは沖縄本島北部(やんばる)の政治、経済、文化の拠点となった。
この時期には初めて文献資料にも登場し、中国との貿易も行われた。
しかし、1416年、北山の王、攀安知の時代にこの城は滅ぼされてしまった。
滅ぼしたのは尚巴志の率いる連合軍であった。
以後、監守制度(1422−1665年)が敷かれて、
首里王府から派遣された監守によって北部地域は統治されたのである。
この城には沖縄の北部の歴史が凝縮されている。
私が家族と昆虫探しをしながらここを訪れたのは22年以上も前のことだ。
当時は全域が鬱蒼とした緑に覆われ、城郭の境界すら判別が困難だった。
そんな古城としての雰囲気と、素晴らしい眺望にいっぺんで魅了された。
その後、沖縄に来るたびに繰り返し訪れて景観を楽しみ、往古の時代に思いを馳せた。
やがて、2000年12月2日、世界遺産に登録されるという「事件」が起きた。
あれよという間に、周囲の森林は伐採し尽くされ、城壁は修復されてしまった。
その結果、がらんとした敷地と、わざとらしい城壁だけが残った。
かっての緑豊かで魅力的な自然と融合した景観の大半は消失してしまったのだ。
唯一の救いは洋上を遙かに臨む眺望の素晴らしさが損なわれなかったことだ。
[パラレル法で立体視ができるのでやってみよう]
----SRSは地球の能力開発----
-----心の中に豊かな自然を育てよう----
[撮影・解説:栗田昌裕 050201記]
画像の無断複製・無断使用を禁じます。
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